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ストーリー

健康文化会副理事長小豆沢病院附属本蓮沼診療所所長代行 成瀬 義夫

【在宅医療に興味のある方へ】
外科医として働きながら在宅医療にかかわって

前・健康文化会副理事長
前・小豆沢病院附属本蓮沼診療所所長代行

成瀬 義夫

前編

【1998年に本蓮沼診療所が開設】

往診専門の小豆沢病院附属本蓮沼診療所は1998年に開設されました。私が往診にかかわりだしたのはそのときからで、外科医として手術や若手医師の指導をしながらも、在宅医療の守備範囲を少しずつ広げてきました。

専門診療所ができる前の往診は、病院から内科の先生方が行っていました。私自身はずっと外科医でしたので、病院の医療しか知りませんでした。唯一、ずいぶん前に職員家族の胃癌末期の患者さんが「どうしても家に帰りたい」という希望があり、在宅でIVHを継続して外科の往診で診取ったことがありました。緩和ケアに興味が出てきていた時期でもあり「私も手伝えるかもしれない」と思ったのです。

【私の在宅末期医療の始まり】

その症例について少しご紹介いたします。まだ私が駆け出しの外科医だった頃で1980年代前半の話です。ある看護師さんのご主人が進行胃癌になり、全く食事が取れなくなってしまいました。IVHを挿入したのですが、ほかに殆どすることもありません。ご本人と家族は「家に帰りたい」と強く希望されたので、妻が点滴の交換は出来るということで、その頃は稀だった在宅IVHで帰宅されました。外科の臨時往診ということで、週に1回自宅まで自転車で往診し、比較的安らかな最後を家で迎えることができたと記憶しています。

手探りで始まった往診だったので、ご自宅でIVHを入れたり、胸水や腹水を抜いたり、病棟医療をそのまま在宅に持ち出した感じで、看護婦さんも大変だったかと思います。でも私としては「患者さんの望むことで、私が出来ることは何でもやろう」という気持ちが強かったのだと思います。

【患者に学ぶ医療と在宅医療の持つ力】

私が往診医としてやってこられたのは、往診の教育プログラムがあったわけでも、内科の先生達がイロハを教えてくれたわけでもないのです。患者さんに教えてもらう医療といいますか、症例にぶつかりつつ学び、スタッフやご家族など多くの人達の協力をいただいた結果だと思っています。

在宅医療に取り組みだして、患者さんが生活の場でみせる生き生きとした表情にすっかり魅せられてしまいました。もちろん病院ではできたことができなかったり、介護者がいない、介護者がいても同じように弱っているなど、独居老人・老々介護・認認介護といった困難に沢山ぶつかりました。しかし、病院では殆ど表情がなくなっていた患者さんが、自宅で娘さんに介護されているうちに徐々に表情を取り戻すのを見ると「在宅医療はなんと力を持っていることだろう」と感動してしまいます。

【在宅末期は介護力しだい】

多発性骨髄腫の末期で心不全・糖尿病・アミロイドーシスを合併している患者さんを、○○病院の紹介で受けたことがありました。多発性骨髄腫もアミロイドーシスも殆ど診た経験がありません。当初は2〜3ヶ月もてばよいという話で食事も殆ど取れない状態でしたが、頻回な訪問看護と週一回の往診で状態がよくなり、血液データも一時的に改善して1年在宅で診ることが出来ました。

最後は呼吸不全となり、○○病院に送ろうとしたその朝に自宅でなくなりました。1年の間には皮膚の剥離や難治性の褥創の処置、食欲低下時の点滴などいろいろな山がありましたが、家族の献身的な介護と訪問看護、往診との連携で乗り越えました。先日、ご家族がわざわざ診療所までお礼にみえ、本当に感激いたしました。

思い返してみれば在宅末期でうまくいった症例は、家族の支えが大きいようです。独居の方や介護者が認知症など、介護力に問題がある場合は、かなり状態がよいと思われてもうまくいかないことが多いように思います。